JunKurataStudio Life

スタジオライフ 倉田淳インタビュー

Yaso[夜想]#ヴァンパイア特集に収録しきれなかったインタビューの後半部分を、
公開します。 本誌とあわせてご覧ください。

Yaso[夜想]#ヴァンパイア特集 掲載ページより

倉田淳インタビュー
――聞き手:今野裕一

yaso 夜想 ヴァンパイア

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StudioLife スタジオライフ
1985年結成。男性俳優だけで構成されている劇団。脚本・演出は倉田淳(劇団唯一の女性)。「トーマの心臓」(萩尾望都)「ヴェニスに死す」(トーマス・マン)「死の泉」(皆川博子)「月の子」(清水玲子)などの耽美的な作品を上演する。ストレート・プレイでありながら審美的な美学をもつ倉田淳の独特な世界観が特色。吸血鬼作品は、「DRACURA」(ブラム・ストーカー)「ヴァンパイア・レジェンド」(レ・ファニュ)「銀のキス」(アネット・カーティス・クラウス)の3作がある。

倉田淳JunKurata
脚本家・演出家。東京出身。法政大学文学部卒。1976年演劇集団「円」演劇研究所、第1期生。芥川比呂志氏に師事、氏の亡くなる1981年まで演出助手をつとめた。1985年、河内喜一朗と共にスタジオライフ結成、現在に至る。劇団活動の他、1994年より西武百貨店船橋コミュニティ・カレッジの演劇コースの講師を務めた。英国の演劇事情に通じ、執筆、コーディネイターも行う。1997年より毎年、ロンドンにてリー・ストラスバーグの直弟子、デビット・ベネット氏を講師に、ニューヨークにて、アクターズ・スタジオ正会員ロヴェルタ・ウォーラック氏を講師に、日本の俳優の為のワークショップを開催している。

StudioLifeのHP
http://www.studio-life.com

ドラキュラへの思い入れ

――
テキストレジュメをやる時、どうやってやるんですか。こういう小説を作品に作るというのは、ものすごく大変だと思います。普通に理解するだけでも、ストーカーもファニュも構造がかなり複雑ですよね。
倉田:
一番最初に、分析ノートを作るんです。一章の1からまとめていって、その章では何を言いたいかって、まず原作を分析する事に随分時間を使います。で、分析ノートを作ってから、どういう風にしていこうかという、カードを入れ替える作業に入っていきます。やっていく中でどうしてもドラキュラの気持ちを考えていくから……。自分で「ああ、ここは見てほしいな」と思ったところは、ドラキュラが自らの棺をずりずりずりずり運んで、半ばドラキュラに血を吸われたミナがモノローグを言う場面です。あのシーンは、結構「ここはお客様に伝えたいな」と思う、わたしの中でのポイントだったんです。ドラキュラ疲れてるんです、絶対に……。棺をずりずり運んで……。ビデオはミナのアップだけ撮ってくれて、「あぁ~ドラキュラ撮ってない! 」と思って映像を見た時はちょっとがっかりしました。ミナが「わたしを殺してください! 」ってモノローグを言う時に、舞台は二重構造になっていて高い所にミナが立っていて、下でドラキュラが自分の棺桶を奴隷の様に引きずっているんです。それで最後辿り着いて、「はぁーっ」って孤独の溜め息をついて、月があるのをふっと見上げて、さみしく棺桶に入っていくという……その奴隷のドラキュラを見てほしかった……。

「ドラキュラ」のレンフィールド

――
レンフィールドは美味しい役どころですよね。映画でも、ベラ・ルゴシの『ドラキュラ』でレンフィールドをやっている役者は舞台俳優の人で、すごく上手いんです。それ以降せむし役とか変わった役ばかりやるようになって……。みんなレンフィールドの役に売り込んで、欲しがったみたいです。ドラキュラよりも、役的には美味しいかも知れない(笑)。
倉田:
ドラキュラはもうみんな、黒いマントをバサッ、っていうのをやりたくてしょうがない(笑)。あれは可笑しくって、年下の子たちがこっそり、みんなが終わった稽古場で一人でバサッってやったりしています(笑)。
――
ドラキュラの役をやると、役者が成長したりぱっと変わったりしません? 何かそんな感じの、はりのある演技をしています。
倉田:
ええ、すごく変わりますね。タイトルロールだし、一本背負って立つ! という意識を、否が応でも持たされるし、そこで如何に華麗にロマンを漂わせなきゃいけないかっていうところで、鏡の前で一生懸命やる。で、心像は絶対強く深く埋めたいと思うし、あんなに孤独がクリアな役もないし……みんなドラキュラをやりたがりますね。やると変わるし、で、前やったドラキュラと次とその次と、もう三代ドラキュラがいるんですけれども、それぞれに前の真似はしたくないという様な事があったり(笑)結構みんな面白いです。
――
映画のベラ・ルゴシと一緒ですね。ところで演出する時に、演技の指導はあまりされないんですか。
倉田:
形や何かは、もう彼らのほうがどんどん先にいくので、わたしはもっぱら心情の話ばかりですね。この時はこういう気持ちで、この時はこういう気持ちで、と。心情が繋がって、ちゃんと自分の中の実感で、波打っていくように、って……。あと殺陣・アクションはアクションの先生が来て下さるし、アクションの先生なんかはマント遣いとかよーく教えて下さるんです(笑)。

象徴で見せる舞台装置

――
スタジオ・ライフの、装置で状況を説明しないで役者のストレートプレイで見せる演出は、ほかの演目でも同じですか。
倉田:
ほとんどそうですね。小説を舞台化すると、ありとあらゆる場所に行かなくてはならないでしょ。そうすると、フレキシブルに対応出来る空間をまずひとつ舞台美術家と作って、あとは明かりの力でエリアを区切ったり、象徴的な小道具をポンと置いたりして……。
――
その方法は、演劇の原点ですよね。夢の世界であったら、それを視覚で夢のように見せなくても、夢の世界だと分かるように演じてそう感じてもらえば良いわけで。
倉田:
はい。演技や、空間を創ることで、たった一本のポールを森の木に感じたり、たった一枚の布を湖と思ったり……それは、役者とお客様の力でみんなで作っていくイメージの世界だと思っています。
――
よりリアルな道具を出したり……雪だったら本物に近い雪を降らせたら良いというわけではない。象徴的に降ったら、それを雪に感じて、寒くなったような気がするくらいのものを創らないと……。
倉田:
じゃないとドラキュラ城も、セットで作り込んだりしたらとんでもないです(笑)。イメージの拡がりが、芝居の面白さなので。
――
セットにも心の息づかいの演出をするんですね。

芥川比呂志から受けた影響

――
倉田さんのご出身は、演劇集団「円」で、いわゆる新劇の教育を受けてこられたわけですよね。新劇と今のスタジオ・ライフの演出法はかなりギャップがあるように見えますが……そうでもないですか。
倉田:
師匠が芥川比呂志さんだったんですね。わたしが「円」に入ってからは、『夜叉ケ池』を最後に一本おやりになっただけです。その前はずーっとご病気で、病院に週一日おきに通っていろんなお話を伺っていたんです。結局、イメージの拡げ方というのをいつも教えてくださっていたんだと思います。たとえば、イメージというのは、インク瓶を倒したみたいにブワーッと拡がっていくものなんだ、それをちょっとずつ垂らしてたりすると駄目、後で拭けば良いんだから、最初は青いインクがブワーッと拡がるようにどこまでもイメージを拡げて、そこからものづくりは始まっていくんだ、ということ。あと、役者たちは泉だから、皆の泉が溢れていて、その水を流し出しながら舞台という泉を作っていくのが演出の仕事だ、とか。なかには涸れた泉もあるから、それは早く見限らなきゃだめだとか(笑)。今はこっちから一杯、今度はこっちから一杯、ここは今は止めておいて、と、役者の泉から溢れてくる水を調節して舞台は作っていくものなんだと。そういうお話を沢山伺っていて、それがたぶん自分の原点かなぁと思います。 あと影響を強くもらったのは、ロンドンの舞台を随分見に行って、それがやっぱりすごいんですよ。ロンドンのウエストエンドからフリンジ(小劇場)から、随分観ましたね。

ロンドンの演劇

――
ロンドンと日本で何が一番違います? 今も日本にイギリス系の演出が入ってきていますけど……。
倉田:
何て言うのかな……。感じることの、深さと強さが違いますね。とても漠然とした言い方だと思うんですけれども……。
――
役者さんが演じる時に、自分で感じて作り出している量が多い……。
倉田:
ええ、そうです。それを演出が、上手くこの地点へもっていく、という風に上手に構築してるんです。そのマジックの凄さ……。
――
こういう風に歩いてここに行け、というのではなくて、役者さん自身が今仰言った泉の様なものを自分で作ってきて演技をする。
倉田:
そしてその演技体系が、日本の場合だと今まで非常に経験主義の中で学んできたんだけれども、何故こんなに違うんだろうと思ったら、やっぱりメソッドがあり、いろんな演技のワークショップが、深いんですよね。日本よりもっと理論的だし……経験主義じゃないところで芝居を作っている。国の力の入れ方も全然違いますしね。国立の演劇学校が無いのは日本だけですから。
――
そうですね。演出家の学校が無いのも……。ヨーロッパは都市ごとに学校がある。パリだって振付師の学校があって、そこを出れば最低仕事としてやっていける……。
倉田:
日本も新国立劇場でやっと少し作ったけれども、だけども全然……。それとやっぱり、センス。全然違いますね……。今上手く言えないですけれども(笑)。ロンドンのその辺の影響はものすごく受けていて。新劇は、嫌だったんです。何かすごく説明的で。心情を説明するんじゃなくて、その心情を感じ取ってくれれば良いのに、といつも思うんですよ。
――
そうですよね。「僕は悲しいんだ! 」って言っちゃいますからね。どっちかと言うと。その悲しいんだと思ってる事を伝えなきゃいけないのに、割と説明へいってしまいますよね。悲しいという表現にも色々ありますものね。
倉田:
ええ、そうなんです。

腰を据えて見る

――
ロンドンには、長期間留学されたんですか。
倉田:
いいえ。最初、スタジオ・ライフを作る前に、始めて2ヵ月一人で行って、昼夜昼夜、観まくってたんです。でも2ヵ月だから大した事無くて60何本なんだけれども。その後も味をしめて、一年に2回ずつ3週間ずつくらい通わせてもらってたんです。もうスタジオ・ライフを始めてしまったし、児童演劇もやっていたものですから、まとめては出してもらえなくなってしまいましたけど。それを10年くらい続けていました。この頃は忙しくて、それも行かせてもらえない(笑)。今行っても、2週間、10日かな、という感じですね。でも腰据えていないと駄目です。小劇場も通って観ないと駄目ですし、一週間毎晩小劇場に行って観て今イチでも8日目に「あぁ、来て良かった!」って思える作品に出会ってたりするんですよ。やっぱり長くいるつもりにならないとそういうことは出来ない……。7泊だったら7泊、きっちりスケジュールを組んじゃうと、そういうフリーな時間がないと出会いというのはなかなか……。
――
あ、その感じわかります。本を読むのでも何でも、その腰の据えた感じというのがなかなか最近少ないから、表現が浅くなる。倉田さんの作品は脚本に関しても腰の据えた作り方だなぁと思いました。
倉田:
時間の観念があんまり無くなっちゃうからいけない、だから台本出来上がるの遅いんですよ(笑)。もうわたし本当に「え、あと3週間? 」とか言いながらまだ書いてる……(笑)。『ドラキュラ』の一番最後の部分が出来てきたのが2週間前です。もう周りはヒヤヒヤしていて。
――
でもまぁ、演劇ではよくあることじゃないですか。初日前に台詞を入れてる役者さんを見たことありますよ。今書き上がった最後の部分、って。
倉田:
間に合わせで都合になってくると、自分の実感に落ちてこないんですよ。それは書きながら「あ、嘘だ、嘘だ」と思ってしまう。もう自分で、これしかない! って思えるところまでいかないと、気持ち悪いですね。
――
『カーミラ』をやられた時にお客さんが沢山入ってこられたというのは、物語の持っている構造をちゃんと芝居に出来ているから、観客はそれで受け入れたんじゃないかと思います。だって『カーミラ』は、ドラキュラものとしては地味ですよね(笑)。前段のお話のほうが長いし、「まだドラキュラは出てこないの? 」って思うくらい……。原作自体が最後に「あ、これは実はヴァンパイアものだったんだ」というくらいのストーリーです。芝居的には、これを「吸血鬼もの」と思って観に来ると、非常にびっくりすると思います。それを多くの人が支持したのは、物語の構造をきちんと提示することで、物語を演出することを受けとめたんだと思います。物語をきちんと再構築出来るというのは、本当に演劇の力だと思うんですよね。そこをさぼっているも のが多いから……。忙しい時代だから仕方ないのかも知れないですけどね。
倉田:
演劇は「総合芸術」とよく言われますけれど、本当にそう思います。音楽の力も役者の力も、美術の力に、明りの力に……もういろんな力が集まって、それがひとつの力ではないところが、演劇のすごさだと思います。
――
生の一回の体験ですしね。今日観たものと最終日観たものは、自分自身も(今日と最終日では)違うわけだし、違う人同士はもっと違うわけですしね。
倉田:
いつまでたってもアナログの世界だけれども、やっぱりアナログじゃなきゃ、出来ない世界だなって……。

脚本の方法

――
ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』は、変わった構造をしていますね。全員で手紙を書いてやりとりしているような形式だから、客観描写がなくて、全員の目で見ていくという不思議な……。
倉田:
で、あとテープレコーダーの声と……。
――
こういう風に(視点が)バラバラだと、演劇的には使いやすいんですか。各キャラに役をあてていけば良いとか……それともやっぱり、全体構造が見えにくいから芝居にする時はちょっと大変とか……。
倉田:
ケースバイケースですね。好きになれば何とも思わないし、やれって言われてものめり込めない世界だと、絶対出来ないだろうなと自分で思います。何かひとつ、ピンとくるものがあれば……。あまり色々考えないですね(笑)客観的じゃないんですよ、きっと。
――
世界に入るのが先なんですね。『ドラキュラ』が一番ピンときた部分はどこですか?
倉田:
やっぱりドラキュラという人物ですね。この人、こんな所に住んでいて、ロンドンに行ってみたいと思いつつ、生きながら孤独だろうなぁ……と。読む前のベースが、『ポーの一族』なんですよ。『ポーの一族』が下敷きにあってこれを読んでいるから……。この原作のしわくちゃのおじいちゃんとか、「絶対違う!」とか思いながら(笑)。あと、ちょっとしか出てこない三人の魔女が結構入り口でした、自分の中では。

孤独な吸血鬼

――
もっと孤独……?
倉田:
そうですね。吸血鬼界の人々……。
――
ベラ・ルゴシの映画の中でも、あの三人の吸血鬼は良い感じで出ていますよね。みんな退屈だと言うけど、あの映画は面白いですよね。
倉田:
友達のドラキュラ博士から、いろんな映画のタイトルを教えてもらって、沢山借りてきて観ました。
――
原作の小説も退屈だって言う人もいるけど、そんな事ないですよね。宝庫みたいな作品ですよね、どういう風にでも読み解ける……。
倉田:
ええ。新しい全訳の前は、文庫で平井呈一さんの訳で出ていて、あれを最後まで読んだ方はあんまりいらっしゃらないのではないでしょうか。
――
倉田さんは全訳のほうを使われたんですか、それとも元の……?
倉田:
あ、元の平井さんのほうです。再演のちょっと前に全訳が出版されて、高いなぁと思いながらすぐ買いました。
――
どうでした?僕は新訳に結構びっくりしました。抜けてた部分がこんなにあったんだと。風景とか時代背景とかがいっぱい入っていて……。
倉田:
びっくりしました。でもまぁ、いいやと思って、前のままやっちゃった(笑)。
――
いやぁでも、あのわかりにくい訳のほうで、よくあそこまで書けるというほうがびっくりですけれどね。

はぐれない登場人物たち

――
登場人物みんながはぐれていない作品で珍しいですよね。結構みんなはぐれますよ。ベラ・ルゴシの『ドラキュラ』でもレンフィールドが来ると「お前なんか要らない」って(笑)。あの映画はスペイン版もあります。全然別の人が監督しているんだけれども、同じ台本を同じセットで撮っています。そこではレンフィールドの扱いがもっと酷くて、足でポンとか蹴られて階段からドサンと落っこっちゃう。ミナをくれとか言ったりするのがいけないんだけど。でもそんなの原作に無かったでしょ、みたいな(笑)。そんな風に、つまんない意味で消えていってしまう登場人物が多いけど、倉田さんのは登場人物がみんな理由があって存在してる。最後、全員が並んでドラキュラを退治しに行くというシーンも、全員がいて全員にそれぞれ役割があって活きているところがすごいです。
倉田:
嬉しい。セワードも気の毒だと思うし……でもすごくいいヤツですよ。キンシーも。
――
そこの関係も綺麗でいいな。不倫っぽく描いてるものもあるけどそうじゃなくて、やはり純愛として常に「良い人でいいんだ、俺は」と言って居る。
倉田:
(笑)純愛路線です。
――
ああいうキャラに思い入れたり「あ、わたしに似てる」とか思うお客さんもいるのでしょうね。
倉田:
はい。今日はセワードの気持ちで観ました、今日はミナで観ました、とか……。ですからうちのお客様は何回もリピートして来て下さるんです。それで毎回感激してくださる……。
――
ミナがレンフィールドに会いに行って話をする場面がありますよね。あそこもかなり、ふくらませてありますけれど、あそこはどういう感じでなのですか。
倉田:
あれはミナがドラキュラに咬まれてしまった後なので、ミナ自身としてはレンフィールドを「仲間だ……! 」と思って、狂っていく自分の行く末を彼女が目の当たりにするシーンのつもりだったんです。そうするとミナは、誰かを咬んだりこのおぞましい姿を晒けるくらいなら、愛する人の手によって殺されたい、と思うんです。
――
覚悟を決めるための通過儀礼みたいな行為なんですね。なるほど……良く出来てるなぁ。原作についての評価とかよりも先に物語の中に入ってしまわれるから、平井訳と新訳のどちらが使いやすいとか、感想はないですか。

分析ノート

倉田:
そうですね……特には。でも最初に読んだほう、分析ノートを作った平井訳のほうが、やっぱり共に生きた仲間みたいな感じになってしまいますね。後のはどうしても参考書になっちゃいます。分析ノートを作っている時の面倒臭さといったらないので(笑)。
――
でもそこから気持ちが入っていくのはすごいですね。分析するって客観的行為ですよね、中に入り込むというのは主観です。
倉田:
さーっと読んでる時よりも、発見がすごく腑に落ちてくんです。あ、これはこういう事だったのか、これはこうすればいいんだ、とか。分析ノートを作らないと、細かい発見が出来ないんです。
――
それはほかの作品をやる時もそうですか? たとえば『トーマの心臓』とか……。
倉田:
全部(分析ノート作りを)やりますね。『トーマ』の分析ノートなんて、今までのうちで一番厚いかも知れないです。皆川博子さんの『死の泉』も相当……。原作をやる時は。まず原作から入らないと駄目です。『百夜行』なんかも、すごく大変だった……!
――
(同じ原作の)ほかの作品を観たりするよりも分析ノートに深く入っていくほうが優先なんですね。
倉田:
そうなんです。まず原作と向き合う作業から、始まっていきますね。

男の子だけのスタジオ・ライフ

――
そもそもどうして、スタジオ・ライフという、若い男の子たちだけの劇団をつくられたのですか。
倉田:
『トーマの心臓』からなんです。それまでオーディションをしたことなかったんですけれども、『トーマの心臓』は学園もので、15、16に見える新しい人たちを集めなければいけなかった。だからオーディションの文句は、「25歳くらいまでに見える人」という、まぁ30歳くらいまで来たりするんですけれど(笑)。それでうちの劇団は若い人ばっかりですね。
――
女の人を入れなかった理由は……? 『トーマの心臓』の時がそうだったから?
倉田:
スタジオ・ライフが始まって3年くらいの段階で、もう男性だけの劇団になってしまったんです。母体が小中学校の巡回公演をやっていたので、自分たちで体育館に行って、舞台を造って芝居して、またバラしてトラックに積んで移動して、という形態だから、どうしても男手のほうが多いんですよ。男性10人に女性2人みたいなバランスで始めていたのがスタジオ・ライフの母体なので、女優は最初から少なかったんです。その二人が、一人はダンサーになり、一人は不倫の駆け落ちをしていなくなっちゃって、それでもう男性だけになりました。で、男性だけになったところから、お客様が倍々に増えてきて、小劇場ブームの中で3000人越えるくらいのところまでいった。でもバブルが崩壊して客足がふーっと落ちてきて、「あぁもう駄目だ、どうしよう」と思った時に、萩尾先生の作品と、『トーマの心臓』と出会えて……。ほんとにラッキーだった。

『トーマの心臓』からはじまる

倉田:
『トーマの心臓』を読んだ瞬間に、「これやりたい! 」と思いました。どうして良いかわからなくて、『残酷な神が支配する』をプチフラワーに連載してらした時だったので、プチフラワーに飛び込みでいって、編集長が話をきいてくださって、そこから許可を下ろしてくださったんです。それからお客様総取っ替えの感じで、萩尾ファンが来てくださるようになって……今は一万人は越せるくらいになりました。本当に萩尾先生に足向けて寝られないです。
――
お客さんって、本当に総取っ替えだったんですか?
倉田:
それまではとにかく笑いがなければ……テンションとエネルギーでうわーっと物語をもっていく、その勢いや爆発と、笑いとを楽しみにしててくださる方たちでした。それがいきなり『トーマ』だと、内向して深く心情に入っていくデリケートさがないと駄目なので、「こんな陰々滅々としてるの何が良いの」という感じに思う方たちも随分いらしたみたいです。演技も随分と方向性を変えなきゃいけなかったので、その頃からロンドンでワークショップをひらくようにして、役者みんながさーっと向こうへ行って。わたしがロンドンに通い詰めていた頃、ひと りのすごく良い先生と出会えて、その先生に「日本から俳優12人、1ダース連れてきたいんだ……! 」って頼み込みました。 たかが2週間ですけれども、得るものはものすごく多かったです。役者は自分の内面を見つめ、「What'samI? 」から始めていく。自分の中の五感の感覚、自己存在というものを見つめるとこから始めていくワークショップなので、台詞の落ちてき方が違うんです。

ロンドンでのワークショップ

――
日本の今までの芝居のあり方とはちょっと違いますね。
倉田:
違います。ここのところちょっとサボってるんですけれども、そのワークショップを5年くらいみんなで続けて行っては、もうまるまる2週間そのことだけ、他の事は何もしないですから……。いろんな垢や、役者はすぐ美味しい事をしたがるじゃないですか、そういう感覚をそぎ落とされて……。先生が恐ーいおじいちゃまなんですよ。演出家とかじゃなくて、教えることのオーソリティなんです。
――
日本はそういう人は少ないですよね。振付が上手な人はいるけど、振付を教える先生はいない。振付師を養成する場所とかも……。
倉田:
ええ、いらっしゃるかもしれないけれど、とても少ないです。 先生が、役者に言う一言一言がわたしは面白くてたまらなかったです。そういう先生に出会えたから、みんなが何に集中して演技をやっていったら良いのかということの入り口を教えてもらってきたんですね。あの先生たちに出会わなかったら、『トーマ』の精神世界とか、『ドラキュラ』の孤独を突き詰めていく感覚とかはとても……。
――
見かけだけでやれちゃうものだから、やってしまいがちですよね。
倉田:
自分とどうやって向き合わないといけないかという事を教えてもらうことが出来たので、みんな四苦八苦してそこに辿り着こうとしながら、みんな今も演技に入っていく……。
――
ワークショップに使うテキストとかはあるのですか。
倉田:
最初の2時間くらいは何も無しで自分の五感でリラクゼーション、その次の2時間が「シーン」という稽古です。日本語と英語だけれど、みんなは日本語でやらないと駄目だから、先生がご存知の課題が出るんです。30くらいテキストの抜粋の箇所が出て、みんな「わたしは『かもめ』のニーナの台詞をやります」「『じゃじゃ馬ならし』のケイトの台詞をやります」って演じていく。先生は英語を見ながら、役者は日本語で話しながら、間にすごく良い通訳が入ってくださるんです。言語は違っても先生は感覚でご覧になるからダメはそのまま、「あぁ! 」と思えるダメをぴっと出して下さるんです、すごく面白い。

直ちに消え失せろ!

――
役者養成のためのダメ出しですよね。役者の器量を良くするための。
倉田:
ええ。ちょっとでもナメた態度というか「これやれば何とかなるだろう」くらいだと、もう「Next! 直ちに消え失せろ! 」って言われる。そうされると彼は、「何が悪いんだろう、何が悪いんだろう」と探し始めるんです。それで一週間くらい本当に苦しむと、先生が「苦しんでるその事がお前の中の今の真実なんだ」という事を教えてくれて、蓋がちょっと開いて、そこから少しずつ開いていく……本当に面白いです。
――
野田秀樹さんだって、イギリス行ったらぱっと変わっちゃいましたものね。
倉田:
そうです、野田さんもものすごい変化。一年間文化庁の派遣で行ってらして、帰ってきて初めての公演が『キル』だったんです。あれは観に行ったんですが、ものすごく変わったと思った。その後も色々探して随分と乗り出していらっしゃる。この間ロンドンのソーホー劇場で『TheBee』を観たんです、今年の夏日本でもやりましたけど、面白かった……! あぁ野田さんすごい、と思って、でもそれなりの努力をものすごくしてらした。野田さんはやっぱりただ者じゃないと思います。
――
あれだけ変わるのもすごいですよね。ロンドンというかイギリスは影響力強いですね。
倉田:
やっぱり文化の違い……。日本は河原乞食と言われたところから始まっているもので……(笑)。
――
昔、大笹吉雄さんと、日本は結局、みんな素人のカウンターで演劇を作ってきたのではないかと話したことがあります。河原乞食、まさに歌舞伎なので、歌舞伎が権威になると今度は新派、でも新派も根元は素人ですよね。川上音二郎とか、素人の力で前を潰していく。新派の次は今度は新劇。新劇の人たちも教育を受けたわけじゃなくて、感動をもらってきて始めている。アングラというのも、アングラの人たち全員演劇関係無い人たちで、やっぱり自分たちで本を読んだりしてやってきたわけです。で、小劇場の野田さんたちだって、演劇学校から出てるわけじゃないから、大学生で頭が良くて体がはしこかったという感じで、前の世代をカウンターしていく。そんな風に演劇史が出来ているから……ヨーロッパみたいに演劇学校があって、役者をやるのも良いし演出やるのもあり、演出はこんな事を考えているし照明はこんな事をしてるんだ、というのを一通り何となく分かった上でやるのは全然違いますよね。向こうはだから、映画監督でも劇場の演出をすぐ出来るのは、根元がアカデミーでやっているから「一緒じゃない? 」みたいなところがあるけど、日本は映画のほうも素人から頑張ってやっているものだから、急に芝居へ行っても無理がある。
倉田:
なかなか、フォーカスの絞り方にしても、この空間で舞台のどこにフォーカスを絞ってお客さんの目線を集中するかという……。今スタジオ・ライフがほぼ丸抱えでお世話になっているのがフランスのルコックシステムの先生なんですけれど、ルコックという学校自体が、最初の2年間はセクションを決めないんですよ。で、2年経ってから始めて、じゃあ私は美術行きます、照明行きます、演出行きます、とか、その教える人になりますとか……。その分かれたセクションでまた2年くらいやっていく。本当にきちんと、経験主義じゃなく理論から学べる。
――
他のスタッフのことがわかるだけでもすごいですよね。演出は今こんな事を考えているんだろうなぁとか……。そういうのがバックにないと大変ですよね……。
倉田:
花開いていかないですね。

花開くのか才能が

――
ドラキュラ関係で、ドイツの表現主義の映画を観て調べましたが、ベルリンにラインハルト学校というのがあるんですね。そこがやっぱり、総合演劇学校なんですよ。そこから表現主義の映画の役者とか監督とか全部出ているし、途中まで役者だった人が演出家になったりする。その学校は才能の宝庫です。どうも、そのへんに行った日本人たちが戻って来て宝塚に入ったり新劇に入ったりしてメソッドを広げたらしい。でも日本へ持ってくると、大体メソッドをパクってくると言ったら言葉は悪いけど、一部だけスッと持って来て海外帰りの演出、みたいにやっている。あの精神、何でもやれるとか深く見てるとか、芸術性ってどういう事なのかを教える所があると、やっぱり出来上がるものがすごいですよね。
倉田:
全然違う。それでロンドン行った時に「ああ、芝居ってこうなんだ」って、目からウロコが落ちるじゃないけど、本当に自分の中では天と地がひっくり返るくらい感動したんですね。言葉も英語で全部はとてもわからないのに、感動するんですよ(笑)。
――
ワークショップとかも参加されたんですか?
倉田:
見学ですけどね。覗かせてくださーい、って行きながら。
――
ワークショップを見ていて、演出をやる上で一番びっくりした事とかあります? ここが違うな、とか演出家の目から見て。まぁシステム自体が演出みたいなものでしょうけれど。
倉田:
何よりもやっぱりシステムの違いですね。あと、フィリップ・ゴーリエというルコックシステムの先生なんかを見てると、役者に対してものすごく辛辣で絶対妥協しないっていう姿勢は……すごいなぁと。絶対、途中で萎えちゃわない。
――
お相撲のぶつかり稽古みたいですね(笑)。
倉田:
それでも、意地悪な事ものすごくいっぱい言うんだけれども、底にものすごく愛情があるんです。彼の心の底のほうに。そういう心持ちというか技術を持ちながら、深い愛情が持てるようになれるには、本当にまだ修業が足りないなと思いました(笑)。
――
ベースに好きとか愛してるということがあるんじゃないですか。演劇とか、そういうもの自体は。
倉田:
本当にかなわないなぁと思いますね。でもわたしは日本語が母国語だし、日本人だし、今のお金も出ない政府やサポートしてくれる企業を探すのも大変なここが、やっぱり自分の芝居をやっていく場所だと思うから。色物だと言われようが何と言われようが(笑)、自分がいま信じているものをやっていくしかないんだろうな、って思います。

孤独な魂の触れあい

――
『ヴァンパイア・レジェンド』のパンフレットに、「処女性みたいなものがあった時に、それは社会から隔離されていてあまりわからない人のことだ。それをお母さんと男の子だけの世界みたいなものに置き換えて作った」という事を書かれていますが、そういう社会から隔離されている子供たちとか感覚というのは、結構倉田さんの中にあるのですか。脚本を書かれている時とか、現実に見ていたり、共感するとか……。
倉田:
その説明は後からこじつけた事なんです。ジョージという役は、人とコミュニケーションがある状態だとだめで、絶対孤独にしないと、ゼーリヒの、吸血鬼の孤独と出会えないと思ったんです。孤独な魂と孤独な魂が、触れ合うことによって、スパークが始まるという風に思っていたので、それで状況をまず、ジョージは絶対孤独に、お母さんと暮らしている。で、これが父であったら、男の子の躾けをしていくから、ああいうセンシティヴな子にはならないだろうと。だからジョージは母親と二人暮らし、ってすごく単純にイメージがいってしまったんです。そういうところから物語を始めていって、全部が出来た後で、こじつけで書いた文章なんです(笑)。だから今の社会がそうだからそれで、ではなくて、あれが孤独な魂と孤独な魂の出会いにしたかったから、です。
――
なるほど。演劇を常に創作の側から考えられているんですね。
倉田:
そうですね。そうすると、結果として今の社会と、というのを後からこじつけるようなもので……恥ずかしいです(笑)。
――
え、作家の人は客観的な事や評論的な事を語る必要は無いわけだから良いのではないですか。全部「私」私語で書いていって、それが世界に重なればそれが客観的な作品になるわけでしょう。
倉田:
だからジョージも、あそこまで孤独でなければ絶対にあれほどゼーリヒを求めなかっただろうし、その前に将軍の息子が来るということで期待感が膨らんだがゆえに、ドーンと落ちてる状態じゃなければ……ものすごい孤独の塊になっていないと。
――
孤独というところをきちんと設定しないと、シチュエーションで吸血鬼がここにいる必要があるから、劇中で置いていくみたいになってしまいますものね。その辺の心情もよく書かれています、「居てほしい! 」というところが伝わってきます。原作にはそこまで強く書かれていないですものね、ジョージが望んだから彼はいるんだという友情の部分……。で、そのことによってお母さんから少し離れていくわけですよね。
倉田:
ええ、そうなんです。で、お母さんはゼーリヒにやきもちを焼き始めるだろうと……でも最後は息子を守らなきゃ、って行動を始める……。
――
原作の奥に或る心理を表に出してきて、それを倉田さんのテーマとも重ねている。そしてそれが現代人の共感にもつながっている。見事な戯曲と演出ですね。

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