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"ペヨトル・コーリング"


最近の子は、脳にきちんと物事を焼き付けられないからな。と、梅津和時さんのファンの人が話しかけてきた。ペヨトル・コーリングの二日間が終わった打ち上げの席のことだ。「確かにね。でも生向委(生活向上委員会)の時から何にも変わんないよねー。いいねーってそういう人は言うんだよね。その間に、ずっとずっとライブをしていろいろなことをしているんだよね。君はボクのライブ聞くの10年ぶりでしょ。」梅津さんは笑ってそう応じていた。
夜想は良かったよね。いつも変わんないで良い特集するよね。言われるとボクは、まだ現役なんだけど、最新号知ってる?って切り返したりした。会社を止める5〜6年前のことだ。で、現場主義で特集を組むと、何であんな特集するの。夜想はどうどうと同じことをしていれば良いんだよと言われたりする。梅津さんの何か苦笑いしているちょっと寂しげな顏は、他人事ではない。
ボクも梅津さんも誰かを何かを否定しようとして言っているのではない。どう自分のスタンスをとるのかという問題だ。梅津さんはとことん現場で音を出し続け、いろいろな人とジョイントすることを選んだ。ペヨトル・コーリングでは、初日、舞踏の小林嵯峨さん、二日目は割礼の宍戸幸司さんとデュオ、両人とも初の手合わせとは思えぬがっぷり四つで濃い舞台が展開した。宍戸さんからはインディ魂のようなものを感じた。それも堂々としていてカッコ良かった。梅津さん同様ボクも小林嵯峨さんも宍戸幸司さんもはじめての舞台で、とても新鮮だった。
今回はペヨトル工房にちなんだイベントと言いながら、これまでに一緒したことのあるのは、梅津和時さん、藤本由紀夫さんだけで未知の体験だらけだった。どんなことをするのかなとわくわくしながら舞台を一緒するのは、緊張感があって楽しい。
天野天街さんとのトークも緊張した。ペヨトル工房で出版した天野さんの戯曲『星ノ天狗』は、当時熱心に演劇の出版物を作ってくれた奥山富恵さんの編集で、ボクは天野さんと会ったことがなかったからだ。おまけに宇宙言を喋ると聞かされて、本当にどうしようかと思っていた。天野さんはとても演劇に純粋な人で、時計というのはこういうイメージ何ですかね……と水を向けても、そうでもあってそうでもないところで、言葉で言ったらそれに限定されてしまうので言えないと答える。なるほどね、言葉にできるなら演劇にはしないだろうなと心の中では納得しながら、何を聞いても駄目だーと、一瞬パニックになりそうになった。
藤本由紀夫さんとのトークは相変わらずで、自分の作品をいろいろなエピソードを交えながら、そして予想される答えを少しずつ裏切りながら、飄々と進んでいった。楽しい瞬間だ。
灰野敬二さんは、『不失者』で出演、ぱーんというドラムの音をさせて名古屋の観客を圧倒した。カッコ良い。それしか言いようのないパフォーマンスだ。なんともロックな感じがしてたまらなかった。灰野さんって男らしいんだなぁと改めて感心した。
MCを兼任してくれた桑原滝弥も大健闘してくれた。時間さえあれば取材をしてそれをMCに展開していく。ヨーゼフ・ボイスとのエピソードも紹介。秘かに『ペヨトル興亡史』も読んでいたようで、進行をスムーズにしてくれた。現場でのたくさんの人の出会いがあり、名古屋の現在のイベント状況、文化に対する観客の反応も身体で体験できて、何かを掴めたような気がする。
ペヨトル工房のことは、ほとんど何も知らなかった会場・得三の森田裕さんの応援してくれるガッツには感謝。とにかく逃げないっていうことはとても大事なことだ。もちろん今回、名古屋にペヨトルを呼んでくれた実行委員のすべての人に、そして今回もたくさんのボランティアの人たちに支えられての成功だった。おかげで二日間満員だった。
会場でも最後に言ったのだけれど、解散してからここまでペヨトルを代表してボクが露出しているが、本当はペヨトルに関わったすべての社員、ボランティア、そしてペヨトルの色をつけてくれた多くの書き手の人、アーティスト、それらの行為によってペヨトル工房が成立していたのだということを強調したい。

すべての人にありがとう。