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人形師・四谷シモン
鉛色の空から雪がはらりと落ちてきそうな、名古屋・八事の『ギャラリーアミカ』で「なんの話しをしよう?」と、たずねると、寒いよね、巴里に行ったときもそうだったけど、と、四谷シモンは飄々と別の話をはじめた。不完全な人形が好きと私が言うと、話題は一気にベルメールのことになり、意外にも四谷シモンがポンピドゥ・センターのベルメールの人形を見ていないことを知った。
ベルメールやヘルマンニッシュは、『夜想』が得意としてとりあげてきた作家だが、当時は、美術というジャンルでも異端の部類であった。ベルメールの人形がポンピドゥセンターに収蔵されていることは知っていたが、公開された噂はとんと聞かれず、死蔵のような形になっていた。
数年前にたまたまパリを訪れたときにベルメールの手足のない人形(夜想2号の表紙)を見て、改めて屍体ともオブジェとも少女ともとれるような人形に魅了された。盗めるものなら盗んで帰りたかったとシモンに報告すると、「本にも書いたけど、ベルメールの人形は犯罪よね」と話しはどんどん進みそうになったので、あとは皆さんの前でと、話しを打ちきって公開インタビューに入った。
名古屋のペヨトル・コーリングの一環として「機械仕掛けのイブたち」を開催しているギャラリー・アミカで、最近、『人形作家』を上梓した四谷シモンさんと荒木博志さんとの対談が企画されてそのインタビュアーに起用された。人前でのインタビューは得意ではないが、シモンさんと本格的に話すのは初めてなので、これも縁と引き受けた。
『人形作家』は、シモンの自伝であるが、それを越えて感動がある。四谷シモンという有名な人形師の名前がなくとも自伝としての読みごたえと魅力がある。昭和の初期、奔放な母親とともに根津、深川、自由ケ丘と渡り住み、放校されるほどの悪さをしたり、ロカビリーの歌手になったり、状況劇場で役者をしたりと、やりたいことに正直な少年の姿がそこにある。そして青年となれば、綺羅綺羅と輝く青春が東京の風景とともに描かれる。ともすれば自伝にありがちな、自慢気な昔語りはなく、真摯にそしてさらけ出すように描かれている人の生き様が活き活きと伝わってきて、思わず涙してしまう場面もある。
もちろん、人形の話もでてくる。ただし、人形作家の創作については、たとえば、たった一行、人形を作るときに僕がめざしているのは、「ひんやりとした表現」です、と書かれていたりして、逆に謎めいている。ひんやりとしたという感覚は、人形に関連してはじめて聞いたことなので、インタビューで、かなり掘り下げて聞いてみた。シモンは、考えながら、言葉を選びながらいろいろ話してくれた。芸談のように決まった答えがあるわけではない。言葉にならない感覚というのが正直なところなのだろう。それでも聞かれたので一生懸命答えてくれているという感じだった。職人なんだなとつくづく思った。
青木画廊という幻想のギャラリーを介して、若いころから四谷シモンの人形に接して、いろいろなエピソードを聞いて、分かったつもりにもなっていたが、今回、インタビューをして多くの発見があって貴重な体験だった。まだまだ聞きたいこともあったが、予定の1時間を軽くオーバーしてしまったので今日はここまでということになった。
真っ赤なセーターを着たシモンは、来たときと同じようにまた風のように八事の街から消えていってしまった。風の又三郎のようだな、と、ふと思ったが、それは状況劇場の役者・シモンそのものでもあった。芸術家というよりもアルチザンの名を好み、巡回展よりも小さなギャラリーでの反応を良しとする人形師・四谷シモン。彼はこれからも人形を作り続けるだろう。毎回、新しいことに挑戦しながら。
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