同潤会女子アパートメント



l同潤会大塚女子アパートメント京大西部講堂でのペヨトル工房のファイナル・イベントに、私は『メモリー』というタイトルをつけた。過去のペヨトルのやってきたことの記憶が、西部講堂のステージと一緒になって、それが未来の創造につながってくれればよいなぁと思ったからだ。それは『夜想』のめざしたものでもあった。それにしても記憶にきちんと留められないまま失われていってしまうものが多くなった。出版社が消えていくのも昔は事件だったが、今はニュースでしかない。出版社が消えていくときに、昔なら本は「ぞっき」に流れたりして、ある程度の量が市場に残されたものだが、管財人の手で一気に廃棄されてしまうことが多くなった。ペヨトル工房の本がみんなの好意で保存されたというのは、奇跡に近いし、時がもっとたてばもっと語り継がれる神話になるかもしれない。
解散してから今日までで最も記憶に鮮明なのは、ボランティアの人たちの活動だ。集まってきてくれたボランティアの人たちのパワーと、ものを考える姿勢に驚いた。ボランティアという言葉には、奉仕というイメージがついてまわるが、彼らは自らの意志で何かをしようとする意欲をもっている。何かを一緒にやる仲間というのが私にはぴったりくる。京大西部講堂の「ファイナル」、名古屋・得三での「コーリング」は、ボランティアの人の力がなかったら成功しなかった。そして現在、かかわっている同潤会大塚アパートの保存・再生の運動にも多くのボランティアの人が参加している。その力が運動の大きな原動力になっている。彼らの存在には大きな未来の可能性を感じる。
そうは言いながら、同潤会大塚女子アパートの保存・再生運動は、かなり難しい局面を迎えている。そもそものきっかけは、保存運動を続けていた建築学会が、さらに運動を進める方法はないかと友人に依頼をして、それならアパートでアートの展示会をやってアピールするのはどうかと提案したのがはじまりだ。提案は、実現へ向けて動き出し、大きな盛り上がりを見せたのだが、東京都から中止命令が出てしまった。中止させられてもボランティアの人たちの意欲は衰えず、いろいろやり方を模索していたのだが、つい最近、石原都知事は、保存の必要なしと言明し、今にも解体作業がはじまるというところまで追いつめられてしまった。このままでは、女子専用のアパートだったこともあって、内部をほとんど誰も見ないまま解体されてしまうことになる。
イベントができないのならせめて記録を作成するのと、公開見学会という形で、できるだけ多くの人に建物を見て、体験してもらって記憶に留めてどめてもらいと考えた。見学会を交渉したが、それもままならない。どう考えても解体の前に見せることもしないというのは理不尽だ。最後の手段として公開を求める署名を集めて東京都知事に送ることにした。たくさんの人が見たいと声を上げれば見学会が実現するかもしれない。この意見に賛同する方々、そして旧同潤会大塚女子アパートを見たいと思う人は、ぜひ以下ののサイトにアクセスして、署名メールを送ってください。お願いします。可能性は低いけれど、たくさん集まれば、何かが起きるかもしれない。公開見学会が実現したら、ドキュメントのためのワークショップを開く予定です。是非協力してください。