解散日記26

 

 10月08日

 

「ずっとすぐれたものを見続けてきたのよね。」

「うん。凄いものは凄いからね。その凄さが分かるようにと目をみがいてきた。」

「それを雑誌に載せてきた?」

「全部載せてきたわけじゃないけど、その姿勢でやってきた。ボイス、土方巽、井上八千代……でも何か、その一流の仕事を大切に思うあまり、そうじゃないものを切捨ててしまうようになってしまったかもしれない。」

「でも駄目なものは駄目じゃない」

「確かにね。でもボイスも土方巽も井上八千代も、大好きな寺山修司も自分はあらゆるものを受け入れて仕事をしていた。ぼくは一流主義の病に陥っているかも知れない。一流ということをかたに、いろいろなものを切捨てている。その切捨てかたがものすごく嫌な感じと、若い子にも言われたよ。」

80年代の初期にボイスの作品に出あって、現代美術に復帰してどんどん特集を組んでいったが、その中で、「こうあるべき」の病にとりつかれていったのかもしれない。一流主義とあるべき病のダブル疾患じゃぁちょっと問題があるだろう。

長い沈黙のあと、田中泯に請われてPlanB(オルタナタィブスペース)で復活した土方巽が、その夜、夜想の暗黒舞踏への協力を約束してくれた後、芦川羊子、田中泯、木幡和枝とともに飲み屋に移動した。初めて会った土方巽に僕はちょっと緊張していたが、その酒場に、かつての弟子であり北海道に結社をもつ暗黒舞踏のダンサーが乗り込んできて、いきなり土方巽の目の前にどんと出刃包丁を突き立てた。

土方巽は静かに「今野、なぜ土方が暗黒舞踏を解散しなければならなったか見せてやる。危ないから下がっていなさい。」

土方巽を田中泯に奪われたと思ったダンサーは、土方!と恫喝したり土方先生と言ったり、混乱しながら、暴れていた。土方巽は、根気よく話しを聞いては、説得していった。一時間もたったころようやくダンサーの気力が尽きたころに「早く連れていけ。」

と、土方巽は静かに言った。頂点にいた土方巽を暗黒舞踏のメンバーそれぞれが自分にひきつけようと争って、その争い自体の方が暗黒舞踏になってしまったと、後で、土方は僕に言っていた。でも土方巽はあらゆるものを引き受け、それから逃げなかったのだ。それは寺山修司も同じことだった。それで苦労もしていただろう。

あらたに集団を組むつもりはいまのところないが、考えなければならないこれからだ。



前に戻る